いじめ問題とSNS。ネットリンチ―“私刑”としての炎上はなぜ起こるのか?人間の持つ加害性の話

最近、いじめをめぐる事件やその映像がSNS上で拡散され、
社会的な糾弾や強い非難の声が一気に高まる…というようなケースを目にする機会が増えましたね。

いじめの話題を見聞きするとき、被害の深刻さを想像することで怒りや憤りが湧いたり
気持ちが落ち込んでしまう方も多いのではないかと思います。
(特にHSP気質な人は、よりそうなりやすいはず)

いじめは人の尊厳や安心して生きる土台を根底から揺るがす行為であり、
癒えない心の傷をつけてしまうことがあります。

私はカウンセラーとして、日々「見えない傷」を抱えた方々と向き合っています。

いじめられた経験というのは、単なる過去の出来事にとどまらず、
自己評価や人間関係への信頼、将来への見通しといった人生の基盤に長く影を落とすことがあります。

被害者の安全確保と回復支援が何よりも優先されるべきであるという点について、異論の余地はありません。

一方で、ネットリンチの扇動を問題解決の手段にしてしまう構図については、
専門職として考えさせられることがあります。

目次

可視化がもたらす光と影

SNSや動画共有サイトなどによって、これまで表に出にくかった出来事が一気に可視化されるようになりました。

学校や組織が十分に対応してこなかった問題が社会の目に晒され、調査や対応が進むきっかけになることもあります。情報の共有が持つ力はけして小さくありません。

しかし同時に、拡散のスピードと感情の熱量は、事実関係の精査や当事者のプライバシーへの配慮を置き去りにしてしまうことがあります。
名前や学校、家族構成といった個人情報が晒されて広まり、周囲の人々が二次被害にさらされるケースも散見されました。

社会的な怒りが集団的な攻撃へと変わるとき、それは「いじめを止める行為」と「新たな排除の構造」の境界線を曖昧なものにしてしまいます。

炎上はなぜ引き起こされる?

何割かの人間は、一定量の「加害性」あるいは「何か(誰か)を攻撃したい欲求」を持っていて

インターネットやSNSという表現の場、発信する自由のある環境が用意されたことから
「正当な加害行為は集団によって支持される」というあやまった認知が生まれてしまうことにより、
このような現象が起こるものと考えます。

関連する研究データを以下へ引用します。

1. オンライン脱抑制効果(Suler, 2004)

心理学者ジョン・スーラーは、対面では働いている行動への抑制が、ネット上では緩んだり消えたりする現象を「オンライン脱抑制効果」と呼びました。
匿名性、相手の表情が見えない不可視性、リアルタイムでない非同時性、上下関係の曖昧さなどが重なることで、「何を言ってもいい」という感覚が生まれるとされています。
スーラーはこれを「良性の脱抑制」と「有毒な脱抑制(攻撃的・誹謗中傷的な言動につながるもの)」に分類しており、まさに「加害性が発露しやすくなる環境要因」といえそうです。

2. 炎上参加者は実はごく少数(田中辰雄・山口真一の実証研究)

国際大学GLOCOMの山口真一氏らの調査(約2万人対象)によると、過去1年以内に実際に炎上へ書き込んだことがある人はネットユーザーのわずか0.5%程度にとどまり、1件の炎上あたりに換算すると0.0015%(7万人に1人)程度という推計も出ています。
さらに、その少数の中でも一部の「超極端な人」が投稿の大半を占めていることもわかっており、木村花さんの事件を分析した調査では、10回以上リプライを送った人は投稿者全体の1.3%にすぎないのに、投稿数全体では14.7%を占めていたという結果もあります。
つまり「集団に支持されている」ように見える炎上も、実態はごく一部の人の声が拡声されているだけ、という構造です。これは「正当な加害行為は集団によって支持される」という誤った認知が生まれる土壌を、データ面から裏付けています。

参照:ネット炎上の研究—誰があおり、どう対処するのか

3. 加害の動機は「正義感」であることが多い

同じ山口氏の調査では、炎上に参加した人のうち、誰かの不正や暴言などを見て「許せない」という思いから書き込みを始めた人が全体の7割にのぼるという結果が出ています。
楽しいから、みんながやっているから、といった動機は少数派なのです。

4. モラル・ディスエンゲージメント(Bandura)

心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「モラル・ディスエンゲージメント(道徳的離脱)」とは、人は自分の攻撃行為を「相手が悪いことをしたのだから当然の報い」「大義のための行動」などと再定義することで、良心の呵責を回避し、攻撃を正当化できるとする理論です。
戦争がおこる背景にも深く関係する概念の一つです。

5. 集団極性化・エコーチェンバー

似た意見の人同士が集まると、個々人よりも極端な結論に至りやすいという「集団極性化」の研究も、SNS上で「加害行為が集団によって支持されている」という感覚を強める要因として言及できます(田中・山口の書籍でも炎上の理解の枠組みとしてこの概念が使われています)。

被害の重さは対称ではない

私個人としては、被害者と加害者の受ける痛みや傷は、決して対称ではないという考えです。

いじめによって受けた心の傷は、年単位、時には生涯にわたって影響を及ぼすことがありますが

一方で、加害者は指導や処分、周囲からの非難を受けた後、
比較的早期に日常へと戻っていくケースが目立って取り沙汰されますよね。

この非対称性こそが、社会に強い怒りを生む理由であると感じています。
また、その怒り自体を否定することは、被害者の苦しみを軽んじることにもなりかねません。

環境や加害者への介入が必要

加害者へのケアや介入の必要性について、皆さんに知っていただきたいことは、
赦すためでも免責するためでもなく、次の被害者を生まないためであるという目的の事です。

処罰や非難によって加害者本人の行動が一時的に止まることはあっても、
いじめをするに至った思考の癖や対人関係のスキルの欠如、歪んだ承認欲求、
集団の中での力関係の捉え方といった内面的な要因がそのままであれば、
環境が変わったときに同じ行動が再現される可能性が残ります。

加害行動の背景にあるものに介入することは、
社会全体の安全を守るための“予防的な取り組み”でもあるはずなのです。

ネット上でおこなわれる加害者への糾弾は、しばしば正義の文脈で語られますが

法的な手続きや教育の介入、専門的支援とは違い
無関係な第三者からの制裁にはこれといった終わりがなく、
一度貼られたレッテルや拡散された情報は半永久的に残り続けることになります。

問題解決の軸がずれることによって、いじめという行為が生まれる構造そのもの—集団の空気、権力関係、相談できない環境、支援につながらない仕組み—は認知されにくくなってしまうのです。

おわりに

私自身、学生時代に友人グループから無視されたり
SNSで悪口を書かれるなどをされた経験から

「女子は裏で何を考えているか分からない」という思考が根づき
「自分は女友達がつくれない」というコンプレックスを抱え、
社会人になってからも、女性の同僚と接することにいつも不安を感じていました。

今でこそ消化されている過去の出来事ですが、
学校が世界の全てだった当時は死にたいくらいに辛くて
なんで嫌われるの、どうしたら嫌われなかったの、という考えでいっぱいで

報復できる手段をそのとき知っていたら、手に取っていた可能性はあると思うのです

だからこそ、そうしなくて良かったな、
この経験が誰かに寄り添うためのエピソードの一つに昇華できて良かった、と思っています。
報復することなく、乗り越えられることを教えられる。私自身の経験として。

被害者の回復支援を最優先にしながら、同時に再発防止の視点で加害者にも介入する。
続いていく構造の中で次の被害が生まれないために、何ができるのか……。
専門職として、考え続けていきたいと思います。

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